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2020年自己対話ノートを書いて変わったこと

vitoカフェのカフェラテ

はぁ~、慌ただしい毎日ですが、今年もあと僅かなので少し振り返る時間を持てたらなと思い。今日少しだけノートを書いて、ブログも書きたくなりました。

一昨年、去年と自分自身、忙しくて忙しくて、ソワソワしていて、イライラしやすくて。

どうにかしなきゃいけないともがきながらも空回りするばっかりの2年間を過ごしました。自分の好きなことも我慢して、後回しして、仕事が大嫌いになっていました。

そう、私、仕事きらいじゃなかったのに。むしろ仕事が好きで楽しかったっていうのがあったのに。

売上とか競合他社とか数字ばかり追いかけて、「こんなんじゃだめだ、負けたくない!売上伸ばさなきゃ。」そういう義務感でがんばってたんですよね。

でも、そういうのに疲れてしまって。

もちろんずっと苦しかったわけじゃなくて、ハワイに行ったりバリに行ったりもしてたんですけど。今振り返ると自分の気持ちとはちゃんと向き合えていなかったのかなと思います。

バリのヨガのリトリートに行ったときはまだ売上にも余裕があって、気持ち的にも私、イケてるって思えるほどゆとりがあったんですよね。

ただ、いつもだと海外旅行に行ったあとは仕事のエンジンもかかりやすいのですが、ハワイに行ったあともバリに行ったあとも一時的には頑張れるけど、意欲が以前のようにでなくなってしまっていたんです。

まぁ、色々仕事を広げすぎたっていうのもあるんですけど、雑務もたくさん増えて、やりたくない仕事もその分増えてしまったんですよね。

そうしているうちに、なんだかよくわからないけど、モヤモヤ、イライラ、どうしたらいいんだろう?っていう答えの出ない売上という数字に対して悶々として、現実逃避に鬼滅の刃の漫画にハマったり、ひたすらHuluとかでアニメ見たり、いぬやしきとか、GANTS、ホームランドとかもシーズン一気観したりとかして。

ベッドから起きたくない、仕事したくないっていうのをずっと抱えながらここ2年位すごしてしまっていたんですよ。

もうかれこれ、仕事を自分でやり始めて12年たって13年目だったわけです。今年は。

そんなところにきて、コロナウイルスという予期せぬ経済状況が訪れて、いろんな環境が変わりました。

大きく変わったことといえば、安いマンションに引っ越しました。

まぁ、贅沢な暮らしをしていたわけですが、売上が減っているのに高いマンションに貯金を切り崩してまで住む意味とは?ってなったんですよね。

世界的に生活環境が変わってコロナウイルスが猛威を振るう中、おかげさまで健康的に自粛生活を送っていました。

自己対話ノートというノートの書き方や自分の気持とじっくり向かい合う時間をこのコロナウイルス自粛生活の中でとることができたというのが今年の最大の私の成長したことだったと思います。

自分の気持ちは書いておかないと忘れてしまうし、何に怒っていたのか?何を考えていたのか?って正確に思い出せることって少ないと思うんですよね。ほぼ毎日ノートを書くようになってから、10ヶ月。

自己対話ノートを初めて10ヶ月、私が気づけて変わったこと。

  • 自分を褒めるなんてできなかった⇒褒められるようになった
  • 自分の思考にダメ出ししていた⇒それに気づけてダメ出しをやめた
  • 売上ばかり気にして毎日嫌な気分に⇒数字を見ても悲観しないようになった
  • 仕事が進まないことに焦る⇒焦ってもできることは限られると学んだ
  • 愚痴やどうでもいいことを話さなくなった⇒LINEのやり取りが減った
  • イライラ、ソワソワの解決⇒ノートにとりあえず書き出す
  • リスト化が嫌いだった⇒できることから手を付けられるようになった
  • いつも何か頭で考え事をしていて集中力がない⇒それに気づけた
  • 感謝ノートなんてバカバカしい⇒普通に書きたいと思えるようになった
  • 自分に厳しく⇒自分に優しく
  • 朝起きるのが憂鬱⇒午後起きることもあるけどそれを許せるようになった
  • あれだめこれダメ⇒許可を意識できるようになった
  • 節約⇒無駄遣いはしないけど、欲しいものは買ってもいいと思えるようになった

これ、結構私の中での成長幅が大きな出来事ですね。私はもともと運がいいほうだし、友達にも恵まれているし、環境もお金も何ら問題がないのに、いつの間にか常に自分にダメ出しして、数字だけ追っていたんですよね。

まぁ、数字だけ追うって言っても、なにやってもお金になればいいみたいな感じではなかったですが、一体私は何をしたいのか?

っていうのをよくよく考えさせられた一年でしたね。

とはいえ、請け負っている仕事があるので、全部やーめたとはできないのですが、今回答が出ない問題をずっと考えるというのを意識的にやめることができるようになったり、なるようになるかなと思えるようになったのが大きな成長です。

13年間、一生懸命走ってきたと思うし、私なりにがんばってきたのに、それを私自身が、「は?こんなんでやってるつもり?しょぼいな、死ねよ。」ってちょくちょく脳内でキレてたんですよね。

「なんでこれっぽっちしか売上出せないの?仕事おせーな。何をしてたの?」って追い詰めてたら、そりゃやる気なくなるのに。

どうやったら、楽しく仕事できるか?とかは考えてなかった。だって数字も売上も出せてたから。

でも環境も変わってるのもあるけど、自分に雨が降ってても雪が降ってても外で働くことを強制してるみたいなものなんですよね。

コロナウイルスの影響で、仕事自体を失う人もたくさんいる中、幸い貯金もあって、ありがたいと思えるようになりました。

自己否定ってよくいうけど、自己否定というか自分に対しての攻撃を常にしているというのに気づけたのは大きかったです。

自己対話ノートを書いてたときも、私はここ10ヶ月で何回か「売上出せないならクズ、死ねばいいのに」と自分に対して書いていましたから。

そういうセルフネグレクトみたいな思考になるときってたいてい体調がするれていないときだったりっていうのにも気づけたり、頭痛がして仕事が進まないときだったりっていうのが多いという傾向も把握できました。

自己対話ノートをさぼっちゃうときもありましたけど、やっぱり書いていてよかったなと思えることが振り返るとたくさんありますからね。

ノートっていいときも悪い時も成果でしかないと思えました。

これはノートを書いている人を「暇な人でしょ?ノートでスケジュール管理とかやりたいこととか書く時間があるなんて。」と思ってた私にとっては驚きの成果でした。

最初の半年ははっきり言って半信半疑というかノートを書く意味とは?という疑問もありつつ書いていましたけど。

続けてみないことにはわからないものですね。

胡蝶しのぶさんみたいに常に怒りを保持する

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鬼滅の刃、だいぶハマって何回も読みましたが、アニメでも公開済みの炭治郎のセリフ「しのぶさん、怒ってますか?」というの。

胡蝶しのぶはニコニコしてても常に心の中で鬼に対してずぅーっと怒っているという、心の状態を炭治郎が匂いで気づいて指摘するというもの。

あれって、私自身もだし、身の周りでもよく見かける心境だなと、最近思いました。

コロナウイルスのこともあって、今は以前のように仕事ができなかったり、外食ができなかったり、会いたい人に会えなかったりという今までに無いストレスを抱えているから余計にそれが見えやすくなっているかなぁと思います。

私自身も自粛中、外食に行っている人が羨ましかったり、自由に過ごせてる人をいいなぁって見てました。

でも自粛は強制力もないため最終的な行動の判断は個人のものなのでいろんな賛否両論もあるし、神経質になるのもすごくよく分かるけど。

私は会いたい友達とは最近ランチに行っています。話したいこともいっぱいあるし、顔をみて話したいし。それが自分勝手な行為で絶対に駄目と自制、自粛している人たちもたくさんいるのもわかります。

だから不愉快と思う人もいますし、感染というリスクのある危険で迷惑な行為だと思う人も多いのもわかります。

できる限りマスクもつけて、混雑しているところにいったり、並ぶような行為はしていませんが、自分が我慢していることを他人が平気でしていると、イライラするっていうのもすごくよくわかります。

私も2年くらい前からずっと自分の中で怒りを保持していたんですよね。

「こんなに働いているのに、周りは助けてくれない!!」
「こんなにがんばってるのに評価してもらえない!!」
「お金を払っているのに丁寧なサービスをしてくれない!!」
「ゆっくり過ごしたいのに忙しくてそれどころじゃない」
「私なんかを誰も大事にしてくれない!!」
「本当はもっと頑張れるはずなのにできてない!」
「なんで自分はこんなに成果をだせないんだ?」

とか、こういうのを自分でずっと頭の中で唱えていて、自分で自分を責めていたんですよね。そしたら、なにか問題があったらそれに対してわざと突っかかって普段なら対して怒らないことに敏感になって激怒りしていたんですよ。

例えば、私は独身で子供がいないんですが、クレジットカード会社からのDMでこどもチャレンジが送られてきたんです。当時は40手前で彼氏と別れたこともあり、それに対して、「え、クレジットカード会社って個人情報かなり細かく申告してるよね?独身だってこともわかってるはずなのに、なんでこどもチャレンジが送られてくるの?」と激おこ。

怒りを通り越して、悲しくなりました。なんか、「この年なら結婚して子供いる年齢でしょ?」っていうのを期待されて送られてきているような気がして。

でも、今もし送られてきたら、そこまで激おこせずに、捨てるだけなんですが、日常から常に怒りが自分の心のコップで満杯になっていたからもう腹立たしくて、クレジットカード会社にメールしました。

「当方独身なので、こどもチャレンジが送られてくることに、結婚していないと、子供がいないと社会的にだめな人間なのではないか?とおもい悲しくなります。もう送らないでください。」と。

今思えばこれって自分のメンタルが怒り常にいっぱいいっぱいで、八つ当たりしたくてしかたなかったんだなと。

常に攻撃できる対象の小さなミスに対してクレーム入れる感じ。

自己対話ノートを書くようになってから、少しずつ、なんであのときこんなにキレていたのか?怒っていたのか?が自分でわかるようになってきて、今は迷惑をかけてしまった人たちに謝りたい気持ちでいっぱいです。

私は友達に恵まれていて、私が怒っていても、機嫌が悪くても、自分勝手な行動をしても、喧嘩をしても許してくれる、好きでいてくれる友達に囲まれていて、高校の時からの友達を含めるともう20年以上私と友達で仲良くしてくれる人たちがいて、それこそ、初めてできた彼氏から、派遣社員として働いたり、起業したりのすべての過程をなんやかんや知っていてくれて、私が悩んだり落ち込んだり、泣いたり笑ったりを見守ってきてくれた友達がたくさんいるのですが。

そんな彼女たちは、私の嫌なところも含め、私のことを好きでいてくれる良き理解者なんですよね。

でもそんな友達の期待を裏切っちゃったり約束を破ってしまうこともあって、きっと彼女たちの期待通りの人間でもないし、言ったこととやっていることが違うときもあるし。気が変わったり、考え方も変わったりして、経過をつたえないと、え?おかしくない?って私に対して怒っちゃうこともあるだろうけど、それもお互い様とおもって許してくれているからいまがあるんですよね。

あと、自分が怒りを長いこと胡蝶しのぶさんみたいに保持していたことに気づけたことでわかったことも多く。

他人に迷惑かけたのは申し訳ないですが。これは苦しかったけど、辛かったけど良かった経験だなとおもいました。私が長年激おこを溜め込んでいたことが、むしろいい経験だったのだなと。

昨日、進撃の巨人のアニメの3期を見ていたのですが、キース・シャーディス教官がエレンのお母さんに激おこしたのも自分の気持を伝えられないもどかしさからの理不尽な激おこ、八つ当たりだよなぁって思いました。

自分の気持ちを伝えないというのはそれがもやもやする期間が長ければ長いほど、爆発も大きいなって思いました。なかなか難しいことではありますが、相手にわかってもらえなくても、自分の気持ちを素直に伝えるのが恥ずかしくても伝えたほうが人間関係円滑になるのではないか?と思ってます。

トップの写真は去年バリ島に行ったときのもの。コロナウイルスのワクチンができて、安心してまた海外旅行に行ける日が来ますように。

友達を新たにつくりたくないという無意識

リッツ・カールトン

お家から見えるリッツカールトンの照明がハートになっていた。自粛期間切ない。

最近自己対話ノートを書いていて気づいたこととして、「友達を新たにつくりたくない→だからあまり他人と関わりたくない。」と思っている自分に気が付きました。

友達ってすでにたくさんいて、もう高校生の頃から友達とか、20年以上友達というとっっても大事な友達で今までの私の経歴をすべて見てきてくれてるような仲のいい友達がたくさんいることに本当に感謝してます。

ダンスも20年近く通っていて、ダンスの先生やダンス仲間たちともいろんな話をしているので、なにげに自分のことを気にかけてくれたり、インスタグラムで状況を楽しんで報告してくれる仲間がいて、とっても幸せだなっておもってます。

それにその友達たちとの関係を大切にしたいから、これ以上たくさんの人間関係っていらないなって無意識に思っている自分がいて。

これ以上たくさんの友達が増えて、気にかけてもらったり、仲良くするのには時間がないって思ってたんですよね。

でも、だからといって声をかけてくれる人や挨拶してくれる人に塩対応する必要なんてないのに、疲れてるときとか、頭の中で仕事のことややらなきゃいけないことがぐるぐるしているときもあって、声をかけてくれる優しい人達をないがしろにしてたことに気が付きました。

仲良くなりたいとか話をしたいって思ってくれている人に無意識に塩対応してる自分に、「え?愛想よくするのってそんなに難しかったのかな」と心の余裕が今までなかったんだなぁって。

誰にでもやさしくすることはできないけど、多少は愛想よくしてもいいし、挨拶くらい機嫌よくしたっていいのになと。

友達を新しくつくりたくないなって意識が、無意識に自分を無愛想にしてた。それってどうなんだろうと。なんか感じ悪いよなと。最近気づいたんです。

笑顔でニッコリされただけで嬉しい気持ちになったり、愛されてるんだなって思えるようになったら幸せだし。

幸せ感受性ってあるとおもうんだけど、そういう感受性のハードルを下げて生活していたほうが、たくさんのことに感謝できるし気付けることも多くなるなぁと。

機嫌がいい人が周りにいるだけで、自分もなんとなく機嫌よく過ごせたり、っていういい影響があるよなぁと。

長年彼氏がいなかった友達に彼氏ができて、幸せそうに、楽しそうにしてる姿をみてたら、いいなぁ恋愛ってって久しぶりに思えたことも、やっぱり友達が出している雰囲気の影響だったりする。

幸せそうな人が周りにいると、私も幸せな方向にいっていいのかな?って思えたりもするし。

ただ、自分が心を閉ざしたい時に無理に心を開こうとするのは自分への負荷も大きいなと思うので、他人にやさしくできないときはひっそり目立たないように過ごしたいなと思うのでした。

あんまり自分に無理させても逆に他人に迷惑となることもあるから。

心が休みたいって思ってるのに、焦りを感じて何かを無理やりさせようとするとどのみちうまく行かない。

自分に自分で負荷をかけすぎるとそのしっぺ返しによる心の回復期間は思いの外長く必要になったりする。だから嫌だなとおもったら自分に優しくして心を閉ざすっていうのも防衛本能だと思うんですよね。

去年、一日中ベッドでゴロゴロする日が何日も続いたり、風邪が3ヶ月もなかなか治らなかったり、具合が悪い原因がなんとなくわからなかったのは、心の「もう動きたくない」というサインだったっておもったし。

今は体は比較的元気だけど、まだ波があって、やる気があって一日中仕事したり、動いたり、考え事できる日もあるけど、なんにもしたくなくてゴロゴロしかしたくないときもあります。

でもゴロゴロしてても罪悪感があって休まらない。だらけていることが駄目なこと。って思ってたりしてゴロゴロしてても気持ちが休まらないときすらある。

精神面での健康って体と違ってさらに見えにくいから、やっぱりノートに書いておく必要があるんだなっておもいます。だって何がきっかけで落ち込んだり、イライラしたり、やる気が無くなったか?思い出せるから。

元気なときは、忘れちゃうんですよ。そんなこと。

私の場合は仲良くなりたい人以外にはあまり気を使えないし積極的に話しかけたりもしないし、はじめましての人に声をかけたり世間話は苦手。極力知らない人とは話したくないタイプ。

警戒心が強くて、物を売られたくないとかだまされたくないとか、時間を奪われたくないって思っているから、初対面の人には基本無表情。だからセミナーとか勉強会とかで合間の時間とかは伏し目がち。

他人に興味を持たれたくないという気持ちからそうなってるけど、心が元気で上向きのときは自分から話しかけることもできたりするんですよね。不思議と。

でもそんな私でも20年以上仲のいい友達がいるのがまた不思議ですね。彼女たちの心が豊かで心が広くて、また彼女たちも変わっているところがあるから私の変わってるところも許してくれるんでしょうけど。

既存の友達は本当に人生の宝物。

あとはせっかく声をかけてくれようとしている人に塩対応しかできないときはささっと帰ったり、周りに迷惑かけないように心がけたいと思います。

周りの人のやさしさには感謝しかないです。

おうちカフェ時間とイライラ俯瞰

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天気が多少いい日はお外にお散歩にいきたくなるけど、今日はおうちでカフェタイム。

昨日セブンイレブンで買ってきたイタリアンプリンをいただきました。これおいしかったな。なんていうか硬めのプリンで濃厚。

ブロガーさんの記事で知ってさっそく買いに行ったらラスト1個でした。

セブンイレブンのイタリアンプリンはプッチンプリンみたいなだるだるな感じが一切ないところが好き。私はあんまりプッチンプリンみたいなやわらかめのプリンより手作り感がある硬めテクスチャーのプリンが好き。

そういえばアッピアとかのプリンもおいしかったよなぁ。アッピア行きたい。

昨日楽天ROOM投稿してたら見事に飲みに行きたいラインナップになってしまった。

そろそろ感謝ノートをはじめて1ヶ月くらい立ちそう。モーニングページはやってみてたんだけど、私の頭の中のゴミはかなりたまっていたみたいで、ようやく少し冷静に俯瞰してみれるようになってきたなって感じ。

感謝ノートって前から存在は知っていたけど、なんとなくばからしくて書き始めることができなかったんだよなぁ。

でもYOUTUBEでいろんな人の感謝ノートの話とか聞いてみて、ブログとかも読んでみて、ちょっとづつだけどやってみようっておもったら、一応今月は毎日欠かさずに数行でも書けてます。

去年、おととし、自分に無理させてたから、ずううううっと自分の中で処理できていない感情とか整理分析できていないなにか?が溜まってたんだろうな。

もしかしたらもっと前から無理させてきてたのかもしれない。
嫌なことがあっても、とりあえず海外旅行に行って気分を一新させているつもりでも、結果モヤモヤしてたから数年前みたいに気持ちが戻らなかったのかも。

仕事もそうだけど、何のためにがんばってるんだろう?っていうのを自問自答してても答えが出せてなかったんだよね。

ノート書き始めてからわかったけど、不安の解消をするためにがんばってたってわかった。

お金をたくさん稼いで、いい部屋に住んで、老後の心配がないように貯金して、一人でいても安心できるようにって、独身でいても大丈夫なように、人に頼らなくてすむだけの楽な生活ができるようにって。

でも、それに疲れてきちゃってた。

それにお客様のためにっておもってやっていることが、一部の苦情やストレスをぶつけてくる人がいることで心が崩壊するというか、イライラするというか。人の言葉にいちいち感情をゆさぶられてるから疲れちゃってたんだよなぁ。

困っている人のためになればっておもってコンテンツつくったりブログ書いたりYOUTUBE動画つくってるのに、なにもみないでなんでも聞いてくる人にはなんて伝えたら自分で勉強してくれるようになるだろう。

商品をつかうために必要な知識を自分のために勉強してもらうってことを理解してもらうにはどうしたらいいだろう?

イライラをぶつけてくる人にメンタル影響受けずに、冷静に対処できるようになるにはどうすればいいかなぁ。

AmazonとかAppleとかのサポートの人マジで神だとおもうけど、あの人たちのマニュアルとかメンタルケアとかどうやってるんだろうっておもう。

YOUTUBEの動画のバックグラウンドで働いている人たちも違法な動画とかDV的な動画とかを削除しているとメンタル崩壊するらしいし。今回のコロナにしても身近な人が亡くなってしまったり、どうしようもない理不尽な経験をする人ってたくさんいるとおもうけど、その傷ついたメンタルの回復ってどうやったらサポートできるかなぁ。

とか考えちゃう。

モーニングページと感謝ノートを書き始めて、だいぶ落ち着いて自分の感情を俯瞰してみれるようになったことと、一緒にいる人のメンタルの安定が素晴らしくて見習うことがおおいし、サポートしてくれるところがたくさんあって、コロナのこんなご時世でも悲観的にならずに過ごせてますが。

他人の言葉や言動からその人の欲求不満とかを汲み取って適切な心に響く言葉を相手を傷つけずに届けることってできないかなぁ。

knoop worksのスタンプを買いました

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インスタグラムでたびたび見かけて買いたいなぁとおもっていた、「knoop works」のスタンプを買いました。

去年の12月くらいからノートを書き始めていて、最近になってやっと少し習慣化してきました。ノートって義務感でやるものではないんですけど、なんとなく、私の場合、腑に落ちないと続けられないっていうところがあってですね。(基本的に完璧主義者っぽいところがある)

いろいろ試行錯誤したり、ノートについて語っている人の動画をみたり、ブログをみたりして、なんとなく続けらています。

インスタグラムでノートを書いている人をみるとモレスキンノートとかノートにもこだわりがあってかわいいシールがちりばめられていたり、マスキングテープが貼られていたり、テーマごとにシールがかわいくコーディネイトされているように貼られていて、すごく素敵だなと思う反面、私、シールとか可愛くデコるタイプの人間じゃないな。と。

っていうかシールを貼って楽しめる人間ではないなとおもったので、シールは一切買わず。(だってそのシールも収納するのめんどくさいんだもん。なくしちゃいそうだし。)

でもなんとなく、メリハリがノートにあったほうがいいなとおもったので、ずっとかわいいなと思っていた「knoop works」のスタンプを買いました。

「TODO LIST」、「WISH LIST」、「Thank you so much」のスタンプを買いました。

TODOはそのままやらなきゃいけないことリスト、WISHはやりたいと思っていることリスト、感謝ノートは「Thank you so much」のところにリストアップする感じで書きます。

ノートワークをしている人たち、感謝ノートとかモーニングページを買いている人は「今日のできごとに感謝します」っていうスタンプを押している人が多くて、これ、なんだろう?って思ってたんですよね。

調べてみたら藤本さきこさんっていう人が販売しているスタンプでした。ノートのオンラインサロンを開催されている方でいろんなオリジナル商品を販売して成功されている方なんですね。今までノートは目標達成とかスケジュール管理とか日記的なことでしか使っていなかったので、知りませんでしたが、けっこうノート界隈のビジネスをしている方がたくさんいることに驚きました。

いままでCITTA式とかバレットジャーナルとか、スケジュール管理とか時間効率のためのノートとかいろいろみてきましたが、こういう文化もあるんだと思って、初めて知った!っておもったんですけど。

実は私、モーニングページの本とし紹介されている、「ずっとやりたかったことをやりなさい」って本、10年くらい前に買って読んだ記憶があったんですよね。

夢日記とかは買いた記憶があったんですが、私がもっていた印象のモーニングページは完全になんか違うものでした。

とはいえ、ガーリーなデコレーションでテンションが上がるタイプでもないから、モーニングページ自体の脳のデトックス、クリエイティビティを育てて、寝たまま船に乗って動くというのを体感したくて、ノートを書き始めました。Daigoも集中力アップのための筆記開示やストレス発散のための筆記開示を提案してるし。書いて認識するっていうのは脳科学的にも理にかなっているとおもったのもありました。

感謝ワーク、感謝ノートは最初ほんとうに馬鹿にしていたとうか、このところネガティブな事象も多かったのっもあって、もう起きたくないという日々を過ごしていたこともあってなかなかはじめたいとおもいませんでした。

なんていうか、受け取り貧乏というか、お金があることに対しての感謝が欠けていたんですよね。

いや、十分稼いできたし、貯金だってかなりある方なのに、インカムが少しでも減ると、不満しかでてこないというか。不安で心配になるというか。

そもそも、一昨年セルフブラック企業をしていたがために、働きたくないマインドが重たくて、ちょっと仕事してもすぐベッドに戻りたくなるっていうループ。そして仕事に集中できない。コロナのニュース気になる。っていう無限ループだったんですよね。

でも、それも少しずつ変わってきて、ちょっと前向きに。そもそも出ていく経費が普通の人からしたらかなり贅沢で。

友達に、「あ〜、売り上げやばいから引っ越さないといけないかも、困った〜」っていったら、「天上人が何いってんの?」と言われたので、ですよね。って。

一等地の都内のタワマンに何不自由なく暮らせていて快適な毎日なのに、不満たらたらの日々を送っていたことに、ようやく、贅沢だなって思えるようになったんですよね。

それまで私は仕事したし、働いたしがんばったからもらえていて当たり前っておもってたところがあったんですよ。

でもこうして生活環境も経済も変わっていって、手持ちに十分な蓄えもあるのに、何を不満ばっかりいってるんだろう。って。まぁ、友達にもさんざんいわれてたわけですけど。いや、あんたは大丈夫だろと。

ただ、それでも自分の中で働いて成果がだせなかったという痛みというか苦痛があって、我慢ばかりしていた2年間ほどがあったから、感謝なんて程遠かったんですよね。

それに、自分に対して、あれもできていない、これもできていないってことばかり頭でぐるぐるさせて自分を責め立ててたし。

自分を責め立てるくせとか、戦って資金繰りとかキャッシュフローとかを億単位でどうにかしたいとかいってライバル会社と戦おうとしていたのも、無理してたことというか、常にイライラ、怒りに満ちていた原因だったのかもなぁって。まぁ、実際に嫌がらせも受けたっていうのもあるけど、それも受け取り方やライバル会社の言い分もあるだろうなとか。

とりあえず、モーニングノートらしきものはルールにたいしてのっとっていないけど、毎日数十行は1月の終わりくらいから書き始めて2月から毎日書くようになりました。

そこでいろいろ自分のこととか自分の考えの固定観念とかを俯瞰してみれるようになって、「でもそれって友達は気にしないよな」とか、「友達のための人生じゃないし、みんなステージが環境によって変わるし、しかたないことだよね。」とか思えるようになったことも増えてきたんですよね。

私の場合は友達に本当に恵まれていて、私が起業する前からの20年来の友達も多くて、私の過去から現在までのいろんな悩みや問題や楽しさもうれしさも幸せも全部共有してきたから、私よりも私のことを俯瞰してみてくれてるからいつもいいアドバイスをくれるし。自分の意見を押しつけずにいつも応援してもらってきたんですよね。

身近な友達はとても大切な存在だから今までの私のイメージや伝えてきた価値観と違うことはしたくない。彼女たちの期待を裏切りたくないっていうのが私の中であることに気づいたんだけど。

でも、私が変わって今更私と疎遠になったり、嫌いになったりする薄い人間関係じゃないなっておもったら、別に私変わってもいいじゃんって思えるようになったんですよね。

独身を長らく貫いて、結婚生活の窮屈さをディスってた友達が結婚したとき、一瞬がっかりしたこともあったけど。でも友達が幸せならそれが一番だしって思えたし。でもそのショックは伝わっちゃったんじゃないかな?ってちょっと罪悪感を感じてて、それと同じ思いを独身の友達に彼氏ができたことでさせたくないなぁとか。

まぁ、いろいろ葛藤が自分の中でけっこう細かくあることにノートに書くようになってから気づいたんですよね。

そうしているうちに、感謝ノートも抵抗なくできるようになってきたんです。なんていうか、いや、自分は十分幸せじゃんと。今まで在るものに乗っかって空を見上げてもっとはよ!っていってたんだなと。

そしたら、感謝ノートやありがとうが苦痛じゃなくなって、コロナのこともあってかありがたみにさらに気づけるようになりました。

私、もともと在宅ワークだから、家で仕事してるし、感染の心配ほぼ家から出ないからもともとないし。家で快適に仕事できる環境が完璧に整ってるし。ハーマンミラーの机と椅子も快適だし。

ってこともあり、これから在宅ワークをする環境の人よりも恵まれてるし、通勤ないってことも恵まれてるのに、何をいうてるんだろうと。

それに、この時期だからこそ、やっぱり自分の考えを見つめ直すいい機会だなと思えるようになって、シールデコよりも自分が楽しめるスタンプを「Knoop Works」で買ったのでした。

買って正解。メリハリでるし。いい感じです。

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